history

歴史

「笹かまぼこ」の名づけ親 阿部蒲鉾店

「仙台名産 笹かまぼこ」と命名したのは阿部蒲鉾店の創業者。伊達家の家紋「竹に雀」にちなんで名づけられました。しだいに名称が統一され、「笹かまぼこ」が定着していきました。私どもにとって「笹かまぼこ」は阿部蒲鉾店の暖簾そのものであり、伝統を磨き続けることにより、新しい味が生まれています。阿部蒲鉾店は、これからも創業時に負けない熱い想いで、伝統を守り続け、お客さまにより良い商品をお届けしてまいります。

創業前

明治35年頃 陸前國渡波町全景(福来館寫眞所製/鈴木紀男氏蔵) 資料協力/特定非営利活動法人石巻アーカイブ

独立の決意を胸に上仙し矢の目蒲鉾店にて修行

明治35年頃 陸前國渡波町全景(福来館寫眞所製/鈴木紀男氏蔵) 資料協力/特定非営利活動法人石巻アーカイブ

創業者である阿部秀雄(あべひでお)は、宮城県牡鹿郡渡波町(現石巻市)で生まれ育ちました。両親は、夏には塩田、冬には牡蠣やノリの養殖で生計を立てていたが、全国的にも不況が続き生活は楽ではありませんでした。そんな状況下で、家の負担を少しでも軽くしたいと上仙。矢の目蒲鉾店に見習いとして入り、朝早くから人一倍努力して仕事を覚えていきました。

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創業後

「仙台名産 笹かまぼこ」
という名前をつけて売り出す

故郷に所有していた土地を売って得た750円の資金を元に、創業者である秀雄は念願の店を開きました。そして笹型に成形した蒲鉾を「笹かまぼこ」という名前をつけて売り出したのです。徐々に笹かまぼこの評判も高くなり、市内同業者の中でも1,2を競う商店へと発展した矢先、仙台空襲に見舞われゼロからの再建を余儀なくされます。あたり一面がまだ焦土の中、いち早く建物を建て復興したのが阿部蒲鉾店でした。作った蒲鉾は飛ぶように売れ、店の前には開店前から50~60人もの行列ができていたといいます。

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自動笹焼き機を発明して、同業他社へ技術共有

創業者である秀雄は、何事にも意欲的で研究熱心だったため、奥田鉄工所と若生電気の協力を得て、大量生産のできる自動笹焼き機を開発しました。現在広く使われている焼炉の原型になったものです。秀雄には宮城を一大観光地にするという夢がありました。観光地には名産品が必要だと思い、「笹かまぼこ」を仙台宮城の名産品にしようと決意し、秀雄が開発した大量生産のできる自動笹焼き機を独占せず、県内同業他社の蒲鉾屋でも使えるように設計図を多くの人々に公開しました。お互いの発展が自己の成長にもつながるという信条のもと、蒲鉾業界全体と地元仙台の発展を目指し、更なる努力を惜しむことはありませんでした。

発展期~全国へ

阿部蒲鉾センターの建設と拡張で近代化が足早に進む

高度成長期を迎え、阿部蒲鉾店も順調に発展を続けました。蒲鉾の供給が追いつかなくなり、工場の拡張と並行して機械の導入を進めたことで、大量生産が効率的に叶うようになりました。そこから一気に近代化が進み、毎時5,160枚もの笹かまぼこを焼き上げることができるようになったのです。

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多店舗時代の幕開けと経営の多角化に注力

仙台市内を中心に店舗数を増やし、地場産業として地盤を固めてきた阿部蒲鉾店。東京や盛岡にもアンテナショップ的役割の店舗を持ち、仙台の笹かまぼこの知名度を上げることに成功したのです。仙台の大イベントでもある七夕まつりにも、率先して参加し、地元の盛り上げに貢献。ホテルをオープンしたり、全国の名産品を集めた展示会を開いたり、蒲鉾店だけに留まらず、新しいことにも積極的にチャレンジを続けています。

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創生期

商品ラインナップを増加し様々なニーズに対応

「仙台名産 笹かまぼこ」の名付け親でもある阿部蒲鉾店ですが、お客様からの要望や時代のニーズに応えて、商品のラインナップも拡大しています。職人の技が光る「細工かまぼこ」や贈り物に最適なセット、子どもウケも抜群な「チーズボール」など、人気商品も徐々に増えてきて、ますます皆様から愛される存在に。これからも見て食べて美味しい、商品開発にも注力していく所存です。

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かまぼこの始まり

周囲を海に囲まれた日本は、いわば魚の国。北から南まで、四季折々豊富な魚がとれ、食卓を賑わせてきました。しかし、冷凍保存の技術がなかった昔は、大漁時どう保存するかが大きな問題でした。
その解決策のひとつとして登場したのがかまぼこだったのです。
白身の魚をすり身にし、細かい竹に塗り付けて焼いたのが、蒲(がま)の穂や鉾(ほこ)の形に似ているので、蒲鉾(かまぼこ)と言われる理由です。

かまぼこが日本の歴史に初めて登場するのは平安時代の1115年。
その年、当時の公卿、藤原忠実の転居祝いが開かれました。その祝膳のスケッチが、文献『類聚雑要抄(るいじゅうぞうようしょう)』には描かれており、その中に、串を刺した「かまぼこ」が記録されています。
つまり、かまぼこの歴史は900年。かまぼこはそれだけ歴史のある存在で、ずっと、ご馳走・贈答品・縁起のよいものとして使われ続けてきました。

笹かまぼこの由来と、阿部蒲鉾店

三陸沖に一大漁場を持つ仙台は、古くから鯛やひらめや鮭が豊富にとれました。明治の初め、ひらめの大漁が続き、その利用と保存のため、すり身にして手の平でたたき、笹の葉の形に焼いたのが、笹かまぼこのルーツといわれています。

以来、仙台周辺には、自家製かまぼこを売る魚屋があちこちで見られました。朝早く仕入れた白身の魚を三枚におろし、包丁でたたいて塩や酒、卵白などで味付けし、炭火でこんがり焼いた笹かまぼこ。夕方ともなれば、その焼きたてのいい匂いが街に漂っていたものでした。

昭和のはじめ、活気あふれる仙台の新伝馬町に、おいしいと評判のかまぼこ店がありました。笹かまぼこを焼く香ばしいにおいに誘われて、店の前には行列ができるほど・・・
それが阿部蒲鉾店のはじまりです。海から揚がったばかりのピチピチとしたひらめを原料に、身おろしから焼きあげまですべて手作りしていました。ていねいな手技と温かな心が作り出した味は、その後、「仙台名産 笹かまぼこ」として全国に名を広げています。

笹かまぼこの名称の由来

その土地ならではのかまぼこ

かまぼこは、日本人が発明した独特の食品として世界に誇れるものです。
初期の竹輪風かまぼこに次いで、板かまぼこ、細工かまぼこなども作られ、現在では全国各地で、港々の魚を使った独自のかまぼこが多種多彩につくられています。
有名なところでは小田原の板かまぼこ、仙台の笹かまぼこ、富山の昆布巻、山口の仙崎かまぼこ、島根の野焼きかまぼこ、愛知のすまき、徳島の阿波ちくわ、鹿児島の薩摩揚げなどがあげられるでしょう。その土地ならではの格別のおいしさが魅力です。